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何をやっても中の上の学生・サラリーマンだった

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何をやっても中途半端だった学生時代。

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僕の今までの人生は、

中のっちょっと上。もしくは上の下。

そんな言葉がよく似合う僕の人生だった気がする。

勉強もスポーツも、成績も何もかも。

それなりに楽しんでいたし、遊んでいたし、怒られたし。

彼女もいたし、親友も友達もそれなりにいた。

何かに情熱的に打ち込みことは特別なく、
なんでもすぐ人よりできるようになるが、極めている人には勝てない。

なので、

中のっちょっと上。もしくは上の下。

そんな言葉がお似合いの学生。

だからいつもいつも
本気でやったら、俺はもっとすげーんだ、そんなことを自分に言い聞かせていた。

高校受験の時、頭良い高校入って下の方だと大変だし、
たまたま家から一番近い普通の高校があって、そこに入学して楽して成績上位取って、
サッカー部に入ってそんなに強くねーだろうし、サクッとレギュラーとってそれなりに楽しむか、

そんなことを考えていたのに、まさかのあっさり不合格。

 

Picture by Ryan McGuire

先生も自分も予想外だった。

親は寛容で、私立で良かったんじゃない?なんて言ってた。

きっとお金だって大変だっただろうに、
何一つ嫌な顔をせず私立の学校に行かせてくれたこととても感謝している。

仕方なく僕は家から1時間くらいのキリスト教の高校に入学。

家から地元の八幡駅までチャリで20分。

八幡駅から学校の最寄り駅勝田台までまで20分。

勝田台から学校まで20分。

僕は、毎日遅刻ギリギリの電車に乗っていた。
7時52分発の特急に乗り、改札に一番近い7号車に乗る、というかなり切羽詰まった感じで通勤。

毎日毎日毎日の満員電車。

八幡の次の駅で毎回降りる中年のおじさんの席の前に陣取る僕に対して、
毎日疲れ切った顔で同じ席を狙ってくるヨレヨレのスーツのおっさん。

勝率は大体半々。
おっさんの体格で吹っ飛ばされることもあったが、負けじと対抗。

負けると僕は15分間満員電車に揺られなければならない。
そうなるとその日1日の学校生活にも響くので僕も必死で毎日勝負をした。

そんな変わらぬ席どりも3年が経過し、

僕はもうこの京成電車にのらなくなるんだ、そんなセンシティブな感情が入り混じった卒業まじかのある日。

今日も変わらずそのおっさんは毎日毎日あの席を狙って疲れた表情で狙っている。

僕はふと思った。

僕はもうこの電車に乗らなくなるけど、

いつまでこの人はこの戦いをやるんだろう、、、、、

きっと席を戦う相手が僕ではなくなっただけで、
違うだれかと同じように席を争うんだろうな。

そう考えると、大きな恐怖と、不安に襲われた。

大人になりたくないな、こんな大人絶対楽しくないよ。

そう思った。

大学に入っても品川新橋を毎日通学したため、

終電でクタクタのサラリーマン、酔っぱらっているおっさん。
上司の文句ばかり言っている人、寝る為だけに自宅に帰る人。

そんな人をたくさん、人一倍見てきた。

僕は絶対に嫌だった。
僕は絶対そんな大人になりたくなっか。

でも僕も、
同じ様に就職してサラリーマンになった。

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紙1枚で札幌勤務のサラリーマン時代。

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大学をなんとか奇跡的に卒業し、スタッフサービスという人材派遣会社に入社した。
大手町本社勤務のはずが、入社1か月前の手紙1枚で北海道支社に配属。

手紙1枚で北海道支社だと???

Picture by Ryan McGuire

 

は?おいおい!
人の人生をなんだと思ってるんだ、この会社は?

そんな感情を抱いたのと同時に、

辞令一つでなんでもする、どこでもいく。

これがサラリーマンなんだな、と思った。

大学卒業旅行シーズンで就職前の人生最後の学生生活を謳歌しようと、
最後の最後まで遊びまっくてた僕はまだまだ先の話だしまあいいや、

なんて思ってたらすぐ楽しい学生最後の休みも終わり、

北海道転勤がすぐ目前まで突きつけられた。

なんで北海道支社に飛ばされたかというと、
大学4年の頃にリーマンショックというものを迎え、
派遣切り派遣切りという言葉が有名になると人材派遣が下火になり、
東京での人員が余ってしまったのだ。

え?北海道行くの?

みんなに笑われた。

北海道は行ったことがなく、熊がでるんじゃないのか?という印象だった。
3月家を契約しに行く時、雪がすごく積もっていて、こんなところ嫌だと本気で思った。

でも、北海道に飛ばされたということは一番経費を使ってもらえたということ、優秀だ。

というこじつけを仲間に言い放ち、自己暗示をかけ恐る恐る北海道に旅立った。

2009年、3月

スペインにイタリア、バチカン市国行ったり、
大好きな友達と大好きなことをしていた。

2009年、4月。

新入社員お決まりのリクルートスーツを着て、
お決まりの時間にお決まりのことをする生活。

たった数日なのにも関わらず、
こうも劇的変化をしなければいけないなんて。

毎日が祝日だったらいいのに。

初月から社会人という荒波にのまれて、
半年間は毎日の様に学生に戻りたい、と言っていたし、

月に1度は東京に帰り、
もう北海道に戻りたくないと言っていた。

軍隊も恐れるスタッフサービスの縦社会

という言い回しがあるように、とんでもないくらいの縦社会だった。

毎日毎日鬼の飛び込み営業をした。

ほとんどの企業がリスト化されているのに対して、
リストに載っていない企業を探し出し月に1370件ということもあった。

そんなに飛び込んで受注0。

Picture by Ryan McGuire

世の中の不景気のせいにして、
人材派遣の悪いところを探し、
土地勘がないせいにし、
ありとあらゆる僕が受注をとれない理由を探しては自分に言い聞かせ正当化した。

金曜日のめちゃめちゃ夜はハッピーで、
日曜日の夜サザエさんを見ては次の日のことを考えるとうつ病気味になり、
日曜日の夜、寝るのが嫌で嫌で、
月曜日の朝になると諦めて会社に行き、

毎日早く終わって休みの日にならないかな?とばかり考えていた。

僕は支社内を点々させられ、
しまいにはグループ会社に研修という名の出向を命じられ、

いる場所がなかった。

会社の方針としても、
派遣切りがどこの企業でも行われ、民主党が政権を取り、
派遣法改正についての論議が繰り返されて、
こんごどうなるかわからない派遣会社の将来が不明の中、

稼働を少しでも落とさないことが精一杯で、
新人に営業を教えている時間など全くなかった。

先輩は幸いにも恵まれており、
東京からきて友達がだれもいない僕を暖かく迎えてくれた。

人生初めての上司である近藤統括に、
ネクタイのゆがみは心のゆがみだと初日に怒られてこと、

やっとの思いで初受注をとれたことを青井マネージャーに報告したら、
報告の仕方が悪くコテンパンに怒られたこと

日々怒られたことばっかりだったけど、
とっても愛情があったし、暖かくて嬉しかった。

言われた時はむかついたけど、

社会人になっても、
こんな何もできない僕をこんなにも怒ってくれる人がいるんだと思うと、感動した。

その後仕事はというと、毎日飛び込み営業ばかりだった。

Photo By davide ragusa

本当にキツかった。
本当に何度も何度もやめたいと思った。

北海道の冬は本当に寒いので、
どうやったら、応接室に飛び込みで入れてもらえるか、
どうやったら、相手の名刺をもらえるのか、

頭に雪をかけながらめっちゃ外寒いですと言って飛び込むとか、
日焼けサロンに行って黒くし、どれだけ営業しているか意味不明にアピールしている時期もあった。

スタッフサービスの営業はほぼ100%アポなしの飛び込みだった。
訪問効率が落ちるから、という理由だった。

訪問効率と言っているくせに、
訪問後小型のPCみたいな物に訪問企業、担当者、話した内容など
事細かに記入する。

そうすると、
前回営業マンがいつ行って誰に会ってどんな話をしたかすぐにわかる。

便利だったが嘘をつくとすぐばれるし、
社内からどこで誰と会い、何をしていてどんな話をしなのか、まるわかりだ。

嘘もつくことは許されれず、
来る日も来る日も毎日飛び込み営業をした。

そんな営業体制なので、
業界では圧倒的にシェアーは1番だった。

先輩が仕事ができるとは思えなかったが、利益をみんな出していた。

そんな何もかも人のせいにしていた社会人半年目の頃、
山田GMに呼ばれ、テクノサービスという工場、製造業の人材派遣の会社に飛ばされた。

どうにか、環境を変えてあげたいという当時北海道の責任者であった山田GMの計らいだっと思う。
山田GMはとにかくむちゃくちゃ優しかった。

支社で一番偉いのに、
他の社員には内緒でなぜか、夜遅くまで2人で飲みにも行ってくれた日もたくさんあったし、話も聞いてもらえた。。

実際退職する時に、人事部から山田GMにどうにかして引き止めなさいという指示がでていたそうだが、
山田GMは引き止めたけど無駄だったということにしておくから、やりたいように思いっきりやってきなさい、
俺も今の時代に若かったら、海外に行ってると思う、羨ましいなムロは、と言って背中を押してくれた。

テクノサービスに入ると、
今までに見たことのないような人種と会う機会があった。

自給700円~800円の工場勤務のスタッフである。

家族も持っている働き盛りの一家の主たちがこの給料なので、

大丈夫なの???

こんな40代、50代の方々がこんな新卒の22歳に仕事の相談してきて、

この人たちプライドねーのかよ?おい、まじかよ?

と思ったこともあったけど、

生活するために、子供を学校に行かせるために仕事をくださいと言われる日々は
自分の仕事に責任が生まれ、今までよりもより一層仕事に注力を注いだ生活になった。

と、同時に、こういう人にはなりたくない、このまま僕も働き続けて仕事を失って、
この人達の様に自給700円800円がしたくて頭を年下に下げる人にはなりたくないとも正直思った。

スタッフサービスの事務派遣のスタッフの方とは違って、
テクノサービスの派遣の方は肉体労働系のお仕事ばかりで自給も安いため責任感もなく、
バックれや、早退、遅刻、欠勤のオンパレードで、発注者の企業担当者からよく僕は怒られていた。

バックれなんてされた後は、
本気で仕事する気あんの?そんな人にもう違う仕事紹介したくない!と何度も思ったことけど、

その人たちの家族のことを考えるとなんだか仕事を探してあげたいなと思っていたものです。

せっかく慣れたテクノサービスだったのだが、
きっと、テクノサービスでも使いものにならなかったのか、
またまたスタッフサービスに移動を命じられたのです。

戻ったスタッフサービスでは、
チームを転々とする、所属なしの担当を持たない、札幌唯一の飛び込み営業人材。

もう嫌だ。。。。。。。。。

毎日が憂鬱。会社に行きたくない、日曜日の夜が怖い。泣きたい。

そんな毎日だった。

でも一生懸命、
その日その日に与えられた役割をしていた。

またまたとある日、突然山田GMに呼び出され、

おいおい今度はどうなっちゃうんだ?僕と恐る恐る話を聞いてみると、

突然親会社のリクルート行くか?という話を突然下さり、
先方には既に話はしてあるから、とりあえず面談してこいというので、面談に行くことに。

え。え。え。え。え。

本当ですよね?と確認した後、

よっしゃゃゃゃゃゃゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

GM部屋を出て、だれもいないのを確かめ、ガッツポーズ。

就職活動の際、数百社説明会に行き、85社エントリーシートを送り、

色々企業を見た結果、唯一働いてみたかった企業、リクルート

起業家多数輩出企業という名前を持ち、副業OKで働いている人も楽しそう。

Picture by Ryan McGuire

天才、エリート、凄い、スーツかっこいい、髪長くてOK、モテる、モテる、モテる、モテる。笑

そんなイメージだった企業、リクルート。

そんな熱い想いとは裏腹に、就職活動時、面接前のSPIで会う前に落とされたリクルート。

そんな夢と憧れと希望のリクルート。

いつか異動があるのではないか?と考え、
リクルートに入りたくでグループ会社全部受け、
リクルートグループで唯一受かったスタッフサービスに入社。

そんな想像していた通りに、
入社1年目から異動なんて夢じゃないよね?

夢ではなくもちろん現実で
まさかのとんとん拍子に配属先は、ホットペッパー。

期待を胸に、2010年4月より入社。

スーツは自由というので、
紺とかグレーとか買っちゃって。笑

リクルートで働いている方は、

ほぼ想像通りで、自分の裁量も大きく、若くて、自由に、そして楽しくみんな働いていた。

最初に同行についたのは高橋くんという2個上の先輩。

緊張しながら北24条の外れのお店に同行していたのは今でも忘れない。

凄く親しみやすく、僕が会社を辞めたのも彼の一言があったからといっていいほど僕に影響力を与えた高橋くんは、

人懐っこく、売り上げや提案の数字も的確で、店長さんからの信頼も厚かった。

そんな高橋くんはスーツがお洒落で社会人なのに茶髪で顔良しなうえ、
TOEIC990点の満点というのを叩きすほど頭の良く、
やっぱりすげーぜ、リクルート、という気持ちがますます高揚した。

こんな人達と働けるんだ、こんな人達の仲間になれたんだ、
そう思うと嬉しかったし、自分の名刺を渡すのがなんだか誇らしかった。

リクルート札幌編集部
murono@r.recruit.co.jp

うーん、響きもハッピーだ。

名刺を始めてもらった時なんて、
嬉しくてパソコンに張っていたのを覚えてるよ。

リクルートの営業は提案型営業で、
人材時代の飛び込め、数だ、数をこなせ、

の営業とは同じ営業でも180度違っていて、
同じ営業なのにここまで違うのか、ととてもびっくりした。

しかし半年もする頃には仕事にもだんだん慣れ、
先輩にも慣れ、頑張らなくてもそれなりに僕も売り上げは出せるようになっていた。

会社の提案資料の素晴らしさと、
ホットペッパーの名前のお陰で売り上げを出せているだけなのに、
すぐ天狗になる僕は、
こんな提案一つでこんなにも簡単に売り上げが立てられるんだ、チョロイナ。

なんて思ってしまっていたのも事実でした。

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名前を名乗る時、
リクルートの室野ですが、ただの室野秀ですに。

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働いている人も同年代ばかりで最高。

お給料も文句なし、家は駅から徒歩1分新築1LDKだし、仕事も楽しい。

そう、本当に理想的な、幸せな、素晴らしい社会人生活を送っていたのです。(当時の写真)

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でも、でもでもでもでもでも、

心の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥のどこかで、

ほんの少しだけ、

何か僕にはもっと可能性があるんじゃないのか、
もっと情熱的にできることはあるんじゃないのか、
もっと今しかできない何かがあるんじゃないのか、

という様な引っかかる気持ちが少しあり、
その気持ちが日々徐々に徐々に少しずつ大きくなっていった

>>つづき、リクルートを辞め一転、ニート生活に

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