shu murono official home page

初ビジネス!パートナーとの出会いと別れ

—————–

パートナーとの出会い。

—————–

調べていくとわかったことがあった。

インドネシアに限らず海外で商売をするにはどこの国でも当たり前のことの様だが、
どうやら外国人が商売をするにはローカルパートナーという人が必要らしい。

そして儲かりだすとそのローカルパートナーに騙され、
色々困ったことが発生するケースが多数あると教えてもらう。

どうやら、ローカルパートナー選びは慎重にした方が良い、らしい。

らしいらしいらしいの、どうやらそうらしい、のオンパレードだったけど、
らしいを少しずつ日々増やしていったよ。

それを頭に入れてローカルの子と遊んでみるものも、
僕の言語がまだまだなのもあったけど、
昼間から僕と遊んでいる暇を持て余しているローカルの子では、
ビジネスのビの字も知らないであろう子達ばかり。。。

どーしよ。。。。。

そんなことを言っていても仕方がないので、
変わりなく日々の生活をする日々。

僕にできることって、なんだろう?
僕が日本人としてインドネシアにいる優位性ってなんだろう?

そんなことを日々考えているとある日、

インドネシア人は親日というのは間違いなさそうだし、、
僕に日本語を教えて教えてという友達もいっぱいいるので、

日本語教室とかはどうだろうか?と思いついた。

受講料ってどの位取れるんだろう?
どれくらいの人数が受講しくれるんだろう?
強豪となるところって何店舗くらいでどこにあるんだろう?

そんなことを考えていると、

あ、語学学校ではないけど、いつも行っている目の前のモールに
パソコン教室があったな、そーいえば。

語学学校とは違うけど、
パソコン教室っていうのはどのくらいの料金体型なんだろう?

僕パソコン勉強したいし、
時間も持て余しているから勉強もしてみるのもいいかもな、

とりあえずスーパーで買い物がてら料金聞きに行こーっと、

そんな軽い気持ちで行ったパソコン教室が運命を変えることに。

パソコン教室に着き、
ここはパソコンの何の教室なの?メニューと料金表下さい。

そう言おうと思ったのだが、
いや、そう言ったつもりだったのだが、

僕のインドネシア語が全然伝わらず、
ちんぷんかんぷんの英語も会話にならず、

撃沈。

Photo By Len  dela Cruz

もう、恥ずかしくなって帰ろうとした時、

ジャパニーズ?と聞かれ、

イエスイエス、アイムジャパニーズ

と返すと、ちょっと待ててと。

待っていると、

「どーもはじめまして日本の方ですか?何かお困りですか?」

Picture by Ryan McGuire

と、体が大きく優しそうな日本人が登場。

「あ、はい日本人です、はじめまして」
「室野と申します、ちょっと恥ずかしながら語学力が足りなくて、、、」
と恥ずかしがりながらいう僕。

「そうなんですか、僕で良ければ通訳しましょうか?」
「あ、申し遅れました、私はワヤンと申します」

え。

え、え、え、え、え、え、え?

ワヤン???

インドネシア人?いやいや日本人とのハーフかこの人?

日本語が上手な外国人というのは色々な場所で会ったことはあるけど、
こんなに日本人と変わらない語学レベルで話せる外国人いないぞ。

「あの、、、インドネシア人ですか?」

「はい、中華系ですがインドネシア人ですよ」

まじかーーーー。

なるほど!!!
このパソコン教室には、日本語が流暢なインドネシア人スタッフも在中させているのか。

給料はいくら位で雇えるんだろう?

日本語を日々使う機会がなかったので日本語を話せるだけでも嬉しかったのと、
現在第二言語の習得に苦しんでいる僕は、
第二言語ををここまで極めている外国人と話してみたいと思い、

あまりに嬉しくなり何も考えずに、

「あの、、、突然ですがちょっとお茶しません?」

なんてとっさに出てしまった。

あっけにとられたワヤンくんも、

「え、あ、はい。大丈夫ですよ、と。」

そのままカフェに入り色々世間話をすると、
早稲田大学、大学院と卒業し、日本人の彼女もおり、
日本語の他に、インドネシア語は当然のことながら英語中国語も操れるとのこと。

すっげー!!!!

僕と年齢1個しか違わないくせに、デブなくせに、
4各国語ってめっちゃ天才じゃん。

楽しい時間はあっという間に2時間位が経過。
めっちゃ素敵な方だし、仲良くなりたいな、一緒に仕事をしたい、そう思った。

別れ際に

「連絡先聞いても良いですか?」と聞くと、

「是非宜しくお願い致します」

そういって去り際に出された名刺には、

代表取締役CEO。

え。

キミハアノオフィスノシャチョウ???

僕は大きな勘違いをしていた、、、、、

彼は社長だったんだ。。。。。。

しかもパソコン教室の方ではなく、
パソコン教室の隣にあっためっちゃ綺麗なオフィスのIT会社の社長だったんだ。

どうりですぐに時間作って2時間もお茶できるわけだよね、うん。

かっこいいな、ワヤン社長って。
あんなに温かみがあって見知らぬ外国人の僕に対しても優しく素敵な人もいるんだ。

Picture by Ryan McGuire

そんな出会いだったその彼とも、
強烈な僕からのアプローチでその後もずっとパートナーシップを組み、
同棲をし、家族ぐるみの付き合いをさせてもらい位、
4年経った現在でも一緒に仕事をしている。

—————–

ジャカルタでの初事業。

————

まず、手始めに目標を決めたのは、5月に行われる2日間の縁日。

とりあえず、イベントにたくさんの日本好きのインドネシア人が来るので
テストマーケティング的にできるのと、2日間という手軽さで出店を決定。

色々話し合った結果、たこ焼き屋をやることに。

家庭用のタコ焼き用の鉄板に、家庭用のコンロ。

色々な方々に手伝ってもらいながら、

2m×2mの小さな小さなスペースで、出店。

まさかの朝から夜までずーっと行列。
2日間家庭用のコンロで1800個たこ焼きを焼きという事態に。

商売繁盛で準備していたタコがなくなり、
たこ焼きが作れなくなる事態発生。

せっかく炎天下の中行列のお客様が並んでくれているので可哀想なので、
近くの日本食スーパーでタコを購入し、次から次へとたこ焼きづくりを続けていると、

Picture by Ryan McGuire

日本食スーパーのタコが高すぎて、売れば売るほど赤字に。。。

なんとなくやっている時からわかっていたけど、
雰囲気とお客様の行列に負けて、気づかないふりをし続行。

疲労困憊、商売繁盛

結果、途中からわかっていたけど、赤字

文化祭みたいでとっても楽しかったし、
今回は予想外の売れ行きで売り切りごめんにすれば良かったのを仕入れを日本食スーパーでしたため、
赤字になってしまったけど、たこ焼きが売れるということはこのお祭りでわかった。

今回の2日間で何人かのインドネシア人に、
日本のたこ焼きがどんなものかというのを伝えられたという
ちょっとした達成感というのもあったしね。

単純な僕は、
この調子でたこ焼き屋をやれば富豪だ!

みたいな頭になっちゃって、

たこ焼きなんて日本で友達の家で何回かたこ焼きパーティーくらいしかしたことないのに、

たこ焼き最高ー!!!!!
やっぱたこ焼きだよな?みたいに完全に有頂天になってたよ。

師匠からいいビジネスがあればお金は心配するなと言われていたので、

そうなったら、場所探しといくらかいかるのか、というおおよその初期投資&収支計算。

ローカルの友達にお願いし倒して、たこ焼きの場所探しがスタート。

お祭りで使っていた屋台もどこかに設置しないといけなかったので、
時間もなく、とりあえず3カ月契約でロッテマートの食料品売り場の前のスペースをゲット。

この時に契約の難しさを知ることになるんだけど、気合と情熱でなんとかカバー。

スタッフ探しや、ポスター、レシピなどなど
小さな小さなお店なのにも関わらず、とっても大変でびっっくり。

小さなお店一つでも大変なんあだなと実感。

たこ焼き出店と同時並行して、
美容業界の脱毛サロンというものにも興味を持つことに。

理由は単純明快で、
インドネシアに日系のIPL脱毛がまだないから。

自分なりにこの半年くらいのインドネシア生活で、
疑問に思ったことがあった。

髪の毛や髭などの毛という毛は伸びるのが異常に早い

僕だけならまだしも、
インドネシアに住んでいる人はこのことをたくさんの人が言っていた。

インドネシアは常に常夏なので、肌は露出の機会多い
では、女性はムダ毛処理なども大変ではないのか?

そんな疑問も持った。

調査したところ日系の脱毛サロンはなく、
インドネシア人はまだガムテープみたいなもので脱毛をしているサロンばかり。

ガムテープだと確かに1回あたりの単価はが安いが、
永遠とガムテープ脱毛をやり続けなければならない。

そうなると、コストもトータルで見るとIPL脱毛よりもかかるうえ、
ジャカルタは世界一の渋滞なので、時間的な短縮も大きい。

いずれ必ず、
ガムテープ脱毛から機械を使ったIPL脱毛が主流の時代が来る。

僕は、確信した。

ないもの認知させるので、
インドネシア人には認知されるまで少しは時間がかかると思う。

けど、日系の脱毛サロンがないので日本人は来るであろう。

日本人は現在1万3千人いて、ざっと駐在の奥さんは4000人くらいか?
ほとんどが中心部に住んでいるからそんだけマーケットあれば十分だろう。

「やりたい!!!」と思って調べるからなんだろうけど、

調べれば調べるほど、脱毛はやった方が良いという方向でしか考えられなくなっていった。

たこ焼き半分、脱毛サロン半分、徐々に徐々にインドネシアでビジネスが出来そうな光が差し込んできたのである。

ジャカルタに来て、半年を過ぎたところまでの話である。

————————

期待を胸にいざ、オープン

————————-

たこ焼きオープンの為に、

スタッフと一生懸命たこ焼きの焼き方工夫したり、
せっかく色々お教えたのにバックレたり、
言葉が全然伝わらなくて絵を書いて説明したり、
ボロボロになった辞書使い倒してみたり、

とにかくできることは全部やった。

値段も4個で200円と決め、

無事にオープンした時は、
とても小さな小さな屋台だったのにも関わらず、
涙が出るくらい嬉しかったよ。

何個かジャカルタにはたこ焼き屋あったけど、
日本人が店頭に立ってて、
思いっきり携わっているたこ焼きだけのお店って
今も含めてもだけど、ないと思う。

肝心の売り上げは、
僕の給料が出なかったもののなんとか赤字ではなかった。

でも、お祭りの様には全然売れなかった。

何が悪いんだろう?

ブランドかな?場所かな?

たこ焼きって注文してもらってから、
焼くので待っていてもらう時間が7分程度かかる。

かといって焼きたてを温めておいて置く機械を買う余裕もなければ、
そんなにぼんぼん売れそうな感じでもない。

うーん。。。

そんな悩みを持ちながら営業し、
色々な人の協力を得ながら次の出店場所を探していると、

地場最大チェーンのコンビニから、
うちの店の前57店舗全部やらない?なんて声がかかって。

一号店は相場も何もかもわからなくて、
超小さい場所なのに吹っかけられて月に7万円も取られちゃったから、

同じ失敗は繰り返すまいと交渉に交渉を重ねた結果、
月に5000円でOKしてもらうことに。

57店舗のほとんどを数週間かけて周り、
最初の方の場所がどこだかもうわからなくなってくるという事態も発生しながら、

6店舗を選定。

セントラルキッチンも作り、
たこ焼きのソース配送部隊から
タコを切ったり材料調達部隊も作って。

一気に行くぞー!!!!!
って感じで屋台もかっこいいの作って、
大がかりに進めたけど、

僕の管理やマネージメントに加え言葉も未熟で、

売り上げごまかされたり、
スタッフがすぐ辞めたり、

なかなか思うように売り上げ上がらなかったり。

そんな理由が重なって、
半年でたこ焼き事業を終え、撤退、事実上の倒産

めっちゃ落ち込みむも、
小資本でかなりのことを勉強できたと前のめりに解釈。

Picture by Ryan McGuire

失敗したことは前向きに解釈する

それしか、僕にはなかった。

くよくよしている時間も余裕もなかった。

店舗が増えると目が行き届かなくなること
仕組み作りの大切さ
スタッフとの人間関係の構築
人材採用の難しさ

などなど、
初めてのこと尽くしで貴重な経験をした。

サラリーマン時代、
色々な人が色々なところで支えててくれたから
業務に集中できていたのだ、と改めて再認識もした。

脱毛サロンはというと、
こちらも無事にオープン。

こちらはたこ焼きとは違い、
投資額も大きく、準備にかかった時間も長く、
オープン前から広告宣伝もしっかりしていた為、
たこ焼きオープンよりより一層緊張感があった。

本当にお客様は来てくれるのか?
とても不安だったが、

きっと大丈夫、絶対に来る
何度も自分に言い聞かせた。

待ちに待ったオープン初日、なんとお客様は0。

ああ、やっぱりな、
この国にまだない文化を広めるってそう簡単に無理だよね。

エステ事業も失敗かな。

そんなに甘くないよね、、、、商売。

この国に存在していないということは、
僕以外の頭良い人が既に考え、
何かの理由でできなかったからないのかも、きっと。

ネガティブな理由ばかり見つけては、自分に言いつけてた。

閉店なので店閉めをしようとした時、
新聞社の水野さんとカメラマンの女性が来られて、

広告の効果はいかがですか?
記事に使う写真を撮りに来させていただいたのですが、宜しいですか?

という水野さん。

この水野さんとはオープンに辺り、
あまりにも無知な僕に様々なことを教えてくれ、サポートしてくれた方。

あまりにもショックだった僕は、
水野さん、今日売り上げが全くあがりませんでした。

やっぱり、ダメなのかもしれないです。

そういうと水野さんは、

「絶対大丈夫です、売り上げ作りましょう!」

と言って、
カメラマンとして来ていた女性に

「試してみないと良い記事は書けないだろ?」

と、5000円売り上げを立ててくれたのです。

初日、来店人数1名、売り上げ5000円。

この5000円が嬉しくて嬉しくて頑張った結果、

初月売上49万円。

これが売り上げとして良いのか悪いのかすらわからなかったけど、

必死に毎日毎日
来ていただいたお客さんに満足して帰ってもらえるよう努力した。

売り上げも順調に伸び、
3ヶ月後にはもう1店舗出店することもできた。

ここら辺から、
田口さんとの考えに違いが出てきた。

どんどん出店しろ!という田口さんに、

もっと顧客満足度を上げ、
新人教育を徹底し、現場を大事にしたい。

田口さんも、自分のお金ではなく、
人から怪しい話を持ち掛けてお金の集めてということで開業資金を集めていたこともわかり、

3店舗目をやれと言われても、
僕も投資家の人に色々嘘をつかなくちゃいけなくて。

結果を出してちゃんとお金を戻せば嘘ではないんだろうけど、

なんだか心が苦しくて苦しくて。

毎日、胸がきゅーってなって、
信じてた人だったのに、
何かあればすぐお前なんていらないねんぞ、

「今すぐ日本帰れや!!!!!!!!!!!」

なんて怒鳴られていて。

それもその人なりのきっと愛情なのかなと思ってたけど、
5年以上も給料もロクにもらわずインドネシアまでついてきている人その投資家にはいて、
その人にも怒鳴りまくって、結果日本に帰ってしまって。

ずっと一緒に仕事をしてきた人なのに、
3秒落ち込んだけど、あんなのおらんくなってよかったわ。

嘘でもそんな言葉を聞きたくはなかったし、
この人とはもう一緒に働きたくないし、
一緒には働かない、そう決めた。

今までお世話になった方、
投資をしてくれた方に現状を報告し、

その場から、僕は逃げ出した。

ちょっとの成功と
やっとここまで築き上げたものもあったけど、

サロンの所有権など何もかも置いて、
僕はその場からいなくなった。

2013年、26歳1月のことである。

——————–

再出発。

——————-

サロンのパートナーであったワヤンくんも
僕がサロンから離れるというのでワヤンくんも辞めるという。

順調に売り上げも上がってきて、
毎月ワヤンくんはそれなりの不労収入が見込める。

それなのに、
辞めるというのだ。

しゅうだから一緒に働きたいと思っただけで、
後ろめたいお金はお金はいらないよ!

そんなことより、
もう一回最初からだけど頑張ろうよ!

そんなことを言ってきたのだ。

僕はお金も10万円を切り、家もなくなり、何もなかった。

だから寂しいけど、
日本に帰らないと。

そう話すと、

ワヤンくんはそんな僕に、
「うちで良かったら1部屋余っているから一緒に住まない?

ご飯もうちので良かったら一緒に食べよう!!!」

しゅういなくなると、
俺も寂しいしさ。ははは

そう笑いながらオファーしてくれた。

大粒の涙をたくさん人がいるカフェで流したのは
この時が生まれて初めてだった。
Photo By Jordan McQueen

僕は、

この人に必ず恩返しをする、そう誓った。

ただ、今の時点ではまったく何も持ってない、ホントにこれからどうしようか・・・

>>つづき、また「ゼロ」から再出発!今とこれから

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+
PAGETOP
Copyright © shu murono official home page All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.