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また「ゼロ」から再出発・・・

焦る気持ちを抑えて、焦らないようにしよう
大丈夫、大丈夫だから。

必死に自分に言い聞かせた。

インドネシアに渡り、
何も知らない状態からたった1年ちょっとで
こんなに経験が出来たんだ。

もう1年あれば、今以上にもっとできる。
うん、絶対大丈夫。

Picture by Ryan McGuire

小心者で臆病者の僕は、
何度も何度も言い聞かせた。

いや、そうでも自分に言い聞かせないと、
精神状態を保ってられなかったのだと思う。

呪文を唱えるかの様に言い続けた。
僕はできる、僕ならできる、と。

それも限界が来て、
どうしたら良いのかわからないやるせない日々が続いた。

親にも事情を説明したいし、
正直、目まぐるしく色々なことが起こる状況を整理したい。

 

一端、日本に帰ることにしよう。

今考えてもそうするしか、
きっとあの時はなかったんだと思う。

再びこの地に戻ってくると約束し、
飛行機へ乗った。

日本行きの飛行機の中で、
ひとまず僕の挑戦は終わったんだ。

色々なあれこれを思い出し、
懐かしくもあり、歯がゆくもあり、
楽しくもあり、辛くもあり

こんな状況で
日本に帰国するということになり、涙があふれた。

日本に帰国してからはというと、

親と旅行に行ったり、
友達と会ったり、
仲間と将来について話したり、
投資をしてくれた方々に事情を説明しに行ったりした。

せっかく色々大変な思いして社長になったのに、
一転して再びニートに逆戻り。。。

Picture by Ryan McGuire

しかも今回は、貯金もなし。

インドネシアに戻って、何しよう。
僕に今更インドネシアに戻って何ができるんだろう。

このまま日本で就職し、
普通に暮らして平凡な家庭を築いて、、、

というごくごく普通の生活でも良いのではないか?

日本に1か月もいると、
今度はそんなことを考えるようになった。

自身喪失。

結果、失敗して撤退して帰国しているんだし、
よくよく考えてみると、ちょっと語学が話せるようになっただけで、

何も僕は成功していない。

今ならまだ第二新卒で就職も間に合うし、
若い時から海外で働いた経験を買ってくれるかもしれない。

再度インドネシアに行ったら、
それこそ取り返しのつかないことになるかもしれない。

考え出すと、
マイナス思考のオンパレード。

頭の中がぐちゃぐちゃで、
うぎゃーーーーーーーーーーーーー

って感じ。

こうなった時は、
お決まりの白いキャンパスに書き書き。

今回出てきた自分への問いは、

・今の自分は、どのくらいの価値があるのか?
・今の自分は、就職したらいくら稼げるのだろう?

だった。

なので、
僕は自分にどのくらいの価値があるのか、
シンプルに就職活動をしてみた。

その結果、
6社受けて1社辞退の3社合格。

新卒で就職したときよりも、
圧倒的に合格率が高かった。

年収も結構高めで
600万とか750万とかいうところもあった。

Picture by Ryan McGuire

ほら、やっぱりね!!!!!!!!!!!!

俺の市場価値はそのくらい高いに決まってるよな、
そんなの当たり前だよ。

日本でぬくぬくした環境で育った5年目のサラリーマンより、
海外でサバイバルしてきた26歳の俺の方が当たり前だけど、
価値あると思う企業もあるに決まってんだろ。

なんて冷静を装って友達に言ってたけど、

内心、まじかよ?
そんなに簡単に決まって良いの?

年収もめっちゃ高いじゃん。

年収500万以上の家庭、日本で33%しかいないぜ?
それなのに海外でふらふらしてた俺がそんなにもらっていいの?

インドネシアに駐在させてくれる企業もあって、
正直ちょっと就職しても良いかな?と思ったんだけど、

結局一人の社長さんに、
室野くん、きみはどこにも就職しないで自分で起業した方がいいよ。

お金が必要なら、いつでも言って。

面接に来ただけなのに、
そんなことまで言われたこともあった。

改めて、もう1回挑戦してみよう。

もう一度、自分自身の可能性を信じてあげよう。

心からそう思えたんだ。

それになんとしても、
ワヤンくんにも恩返しをしなければならない。

親とも話をして、30歳までに形になりそうになかったら、
日本で就職するということを理由にインドネシア再挑戦することを納得してもらった。

まだ僕を拾ってくれる企業はたくさんある。
僕には、たくさんの価値がある、大丈夫。
最悪、また日本で就職すれば僕なら受かる。

そう思うことができると、自信になった。

決意は決まったものの、お金が全くなかったので、
日雇いの派遣やら知人の手伝いやら色々やった。

親には心配かけたくなかったので、ちょと時間もあるし、暇だからバイトでもちょっとするわ、なんて言ってたけど、
インドネシアに行く飛行機代すらもない位だったからね。笑

毎日実家でご飯食べていたし、水筒に家からお茶入れて持ち歩いて、
お弁当も持って行っちゃう位だったから、
親はお金ないんだろうな、ってきっと気がついていただろうに、

何も言わず、毎日美味しいご飯を作ってくれて感謝している。

ちょっとの貯金と、(って言ってもバイトで貯めた30万位だけど。笑)
期待と希望と覚悟を持って、
2013年4月再度インドネシアへ。

ビューん。

Photo By David Marcu

空港ではお出迎え。
ワヤンちゃん、久しぶり。会いたかった。

日本に帰っている間もたくさん連絡くれたり、
日本であったり、電話したり本当の兄弟みたい。

ワヤンとワヤンの弟と、
将来の夢の話をしたり、
くだらない話をしたり、

毎日毎日一緒の家だったから、話していたよ。

兄弟がいなく一人っ子だった僕には、
お兄ちゃんと弟ができたみたいで楽しかった。

ワヤンのままなんて、インドネシアに僕が帰って来て欲しいからって、

自分の顔の利く
日本の企業の面接決めて来てたり、
銀行の人に日本人採用しないか?

なんて営業してくれてたりしたみたいで、
「しゅう、インドネシアでの仕事のことは心配しないでね。」

そんなことを言ってくるもんだから嬉しくて涙でちゃったよ。

お手伝いさんも使わせてくれたり、
車も貸してもらっちゃったりして。

ママはお友達に、
「日本人の養子をもらっちゃったの。」
なんて言いふらしてて。笑

みんながみんな、
ものすごくものすごく暖かかった。

ジャカルタに戻ってきたものの、変わらず暇だった僕はもう何度目だろう、

Picture by Ryan McGuire

お決まりのニート生活。

日本では、ニートというのは自宅警備員と言われてたけど、
もうそれ通り越して俺なんて一級在宅士レベルだったよ。

代表取締役社長を目指してきているのに、
毎回、代表戸締役社長になっちゃうんだからね、俺。

ニートフェチすごて、
まいっちゃうよ。

ワヤンくんや弟、ママ達はみな朝から仕事に行くので、
僕は夜まで一人ぼっち。

本当に1週間が長く感じたのを覚えているよ。

それでもままには就職はしない旨を丁重に伝え、
ずっとずっと起業アイディア探し。

早くやりたいからって、
絶対焦っちゃだめだ。

こないだの時なんて、
たった3ヶ月で2店舗目出店できたんだし、あんなに色々あったのに1年だ。

親と約束した30歳までまだ4年もあるんだし、
同じ失敗を繰り返さないようにゆっくり決めよう。

同じ失敗とは、

・出資のされ方
・共同経営の仕方

この2点に関して。

前回の経験から、痛いほど勉強になった。

事業をする時のお金の受け取り方って、

・出資を受ける
・融資
・借り入れ
・もらう

という4パターンが考えられるけど、
僕はどのパターンが良いのだろう?

間違いなく、

・もらう

が良いけど、これはムリだ。

でも、借金は怖いしな、

うーん、えーと、

ってな感じで鉛筆と白い紙で一人会議。

僕の決めた条件は、

小資本のでも良いから全額自分でやる。

もしくは、

人間的にも素敵で、
僕が決めた条件でOKしてくれた人からのみ、出資を受ける。

いくらお金がたくさんあっても、
どんなに良いことを言われても、

僕がきめた条件でできない場合は、断る。

そんなルールを自分に課した。

投資家は自分で何もないのに、
自分から探しても足元見られるだけだから、

まずは自分でやる方向で、稼ごう!!

>>つづき!ビジネス拡大!今とこれから

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